マルキヤ
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シルクロード6(河西回廊)

前回からのつづき・・・

 

シルクロード地図A:河西回廊と3つのルートを示した地図

出典:

https.://www.kaze-travel.co.jp/blog/silkroad_kiji056.htm

 

④河西回廊(かせいかいろう)

上記

シルクロード地図A:オレンジラインのルート。

西安から敦煌までのルート。

この一帯は、冒頓単于が率いる匈奴が支配していたが、

紀元前111年に前漢の武帝によって、河西四郡

(武威、張掖、酒泉、敦煌)が置かれ、

前漢がこの一帯を勢力下に治め、西域に進出する

足掛かりとした。

 

これにより、河西回廊が

天山北路、天山南路、西域南道へとつながり、

シルクロードの一部として機能し始め、

交易が盛んにおこなわれるようになり、

シルクロードが国際的な通路として

機能するようになった。

 

西安(せいあん)

シルクロードを西へ向かう出発点。

昔は長安とよばれ、国が変われど

長い間、都としてあり続けた。

 

名実ともに悠久の古都で歴史のある都市

日本で言えば京都にあたる。

平安時代の平安京、今の京都の

モデルとなった都市で

共に歴史のある都市として

1972年、姉妹都市提携を結んでいる。

 

西安でもっとも有名な文化遺産は、

世界遺産にも登録されている「兵馬俑」。

秦の時代、秦の始皇帝が

自身の陵墓を守る副葬品として、

実物大の陶製の兵士像や馬等を多数埋めた

とされており、1974年にはじめて発見されるまで、

2200年の間、地中に埋まったままだった。

 

これまでの発掘で8000体の俑が確認されているが、

兵士の俑はどれ1つとして同じ顔がない。

また、様々な種類の俑が埋葬されていたことから、

始皇帝は、陵墓を守るための副葬品としてだけでなく、

自身の生前の生活そのものを俑として埋葬することで、

来世にも、持って行こうとしたのではないか

と考えられている。

 

蘭州(らんしゅう)

甘粛省の都、蘭州。

ちょうど中国のど真ん中に位置しており、

古代から交通要衝として発展してきた。

最近では、蘭州ラーメンが有名

 

郊外にある炳霊寺(へいれいじ)には、

初唐に石を掘ってできた大仏があり、

高さは、奈良の大仏の高さ15メートルを超える

27メートルで非常に大きい。

 

武威(ぶい)

漢民族がおいこの一帯を統治するために

河西四郡を置いたが、四郡のうちで、

最初に置かれたのが武威だった。

 

武威の雷祖廟雷台から出土した馬の銅像

「銅奔走馬」が有名。町のシンボルにもなっている。

漢の武帝が欲しがった名馬がモデルとなっている。

 

張掖(ちょうえき)

西域四郡の1つ。

34mの巨大な涅槃仏が横たわっている大仏寺が有名。

このお寺については、マルコポーロも

「東方見聞録」の中で触れている。

 

郊外には張掖丹霞地貌(ちょうえきたんかちぼう)

という赤い縞模様の美しい堆積岩でできた地形があり、

夕焼けなどで紅色に染まる光景は、

中国のグランドキャニオンと呼ばれている。

 

酒泉(しゅせん)

河西回廊の中心として、古来より

西域の交易の要衝として繁栄した西域四郡の1つ。

名前の由来は、漢代の故事に、匈奴を打ち負かした

20万もの兵の労に報いるため、

武将の霍 去病(かく きょへい)が

漢の皇帝、武帝からいただいたお酒を泉に注ぐと

濃厚なお酒の香りと共に、泉の水がお酒に変わり、

とめどもなく湧き出て尽きることがなかった、

という言い伝えから来ている。

 

夜行杯という呼ばれる玉でできた杯が

この町の特産品

 

敦煌(とんこう)

河西回廊の西端に位置する都市

西域四郡の1つ。

当時はヨーロッパへの唯一の通路で

中国はもとより、インド、イスラム、ギリシャ

4つの古代文明が交差するポイントでもあった。

 

世界遺産である、敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)は

千仏洞(せんぶつどう)とも呼ばれていて、

4世紀にたまたまやってきた旅の僧が、

仏を入れる石窟を造ったのを皮切りに

14世紀までの約1000年の間、

次から次へとたくさんの石窟が彫られていき、

今では、735の窟、2415の仏塑像を

保有するまでになっている。

 

莫高窟(ばっこうくつ)のシンボル的存在が九層楼。

この中には26メートルの弥靭勒大仏が鎮座している。

そのほかにもさまざまな仏洞や壁画、

塑像(そぞう・粘土で作った像)、書物などがあり、

仏教美術の宝庫として有名で、世界最大規模を誇る。

東方のルーヴル宮殿とも称されている。

 

 

シルクロード全般地図

 

それにしても、昔はこうした

途方もなく長いルートを

ラクダや馬を使って

移動していったのかと思うと、

そのパワーとバイタリティーに

感服せずにはいられません。

 

そうして運ばれた品々が

果ては日本にたどり着き、

正倉院に収められて、

正倉院展で、その一部を

現代の私達が目にすることができるわけで、

悠久の時の流れに壮大なものを感じるのは

私だけでしょうか・・・

 

 

明日香