マルキヤ
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オリンピックの歴史1(古代オリンピック)

前回からのつづき・・・

 

オリンピア祭典競技が

古代オリンピックの起源といわれていることは

前回でもふれましたが、後の考古学的研究で

オリンピアの祭典競技以外に、ギリシャの他の3地方

イストミアン、ネメアン、ピシアンにも同種の祭典競技が

存在していたことがわかっていて、オリンピアを含めた

4つ全部をまとめて4大祭典競技と呼んでいるとのこと。

 

古代オリンピックは

紀元前9世紀ごろに始まったようですが、

記録に残っている最初の古代オリンピックは

紀元前776年で、これを第1回と数えるのが

通例となっているとのこと。

 

この第1回から13回まで、古代オリンピックの競技は

191mのコースを走る「競走」の1種目だけでしたが、

その人気の高まりとともに、種目数が増え

大きな祭典へと発展し、

それにつれて祭典競技の人気は高まっていきました。

 

オリンピックの話をすると、

「聖なる休戦」という言葉を

耳にすることがあると思います。

 

当時のギリシャはポリスと呼ばれる

国家都市が数多く形成されていて、

ポリス内での内部紛争や、他のポリスとの抗争などが

絶えず起こっていた時代でした。

 

オリンピア祭典競技は、

そもそも宗教的行事であったため、

ギリシャ各地からアスリートや観客が

数か月かけてオリンピアをめざし、

時には敵地を横切らなければならなかったなどの経緯から、

オリンピアの祭典競技が行われる時は

武器を捨て、戦いをやめていました。

いわゆる「聖なる休戦」です。

この休戦の期間は1か月から最長3か月ほどまでに

なったと言われています。

 

そこまでしてオリンピアをめざし、集まり、

行われた祭典競技ゆえ、競技場は多くの観客で盛り上がり、

祭典は大人気となったわけです。

 

このオリンピアの精神は

後に近代オリンピックに繋がっていくこととなります。

 

そこまで大人気だったオリンピアの祭典競技でしたが、

紀元前146年、ローマがギリシャを支配下に治めたころから

オリンピアの信仰が下火となり、古代オリンピアが

衰退することになります。

 

宗教儀式であったがゆえ、

ギリシャ人だけしか参加できたなかったにもかかわらず、

ローマが支配する地域から

ギリシャ人以外の人種が参加するようになったこと、

 

ローマがキリスト教を国教と定めたために

ギリシャの宗教もキリスト教となり、

もともとオリンピア信仰の宗教儀式的要素が強かった

オリンピア祭典競技であったため、

維持することが難しくなったこと、

 

こうした事情から、

393年の第293回オリンピック競技大祭を最後に

1169年間続いた古代オリンピックは

終焉の時を迎えることとなったのです。

 

 

永遠なものはなにもない・・・

いつか終わりがおとずれる。

仏教の末法思想に似た話のような気がする・・・

 

私はそんな風に古代オリンピックの話を

理解してみたのですが・・・

 

明日香