以前、桃の節句を説明する際にも触れましたが、
(3月4日「桃の節句って2(節句とは)」、
3月5日「桃の節句って3(5節句と陰陽五行説)
の過去のブログを参照)
「節句」とは、
四季や季節の変わり目に応じて
無病息災を祈願し、邪気を祓う
伝統行事を行う日の事をいい、
5月5日の端午の節句は、
江戸時代に江戸幕府が「5節句(ごせっく)」
と称して、1年に5回、伝統行事を行う祝日
として定めたもののうちの1つ(3番目)で、
― 以下5節句リスト -
①1月7日 人日(じんじつ)の節句
②3月3日 上巳(じょうし)の節句
③5月5日 端午(たんご)の節句
④7月7日 七夕(しちせき)の節句
⑤9月9日 重陽(ちょうよう)の節句
男の子の成長を祝う節句として
定着していったようです。
端午の節句を祝うための飾り物として
戸外飾りと室内飾りの2種類があり、
戸外飾りでよく知られているのは
皆さんご存じの「鯉のぼり」。
でも、なぜ、「鯉のぼり」を外に飾るように
なったのでしょうか?
もともとは、幟旗(のぼりばた)についていた
「まねき」という小さな付属品で、
これが、だんだん大きく作られるようになり、
鯉のぼりとなって現在のサイズに
なったとのことですが、
何故、鯉そのものの形をしたものが
幟旗(のぼりばた)の代わりに掲げられるまでに
なったのでしょうか?
端午の節句が近づくと、江戸時代の武士たちは、
我が子の成長や出世を祈願するために、
武家屋敷の玄関前に、戦の際に武将が戦場で
自分の存在場所を示すために掲げた馬印というものや、
家紋の入った幟(のぼり)を掲げたり、
吹流しを飾ったりしていたとのこと。
これを見ていた町人たちが、武士と同じことをしたい
と考えたのですが許されるわけもなく、代わりに
自分たちの飾りを作ることを考えたようで、
中国の黄河上流の龍の門と呼ばれる滝をのぼった鯉は
竜になって昇天する、という中国の伝説、俗に言う
「登竜門」という言葉の由来となった話があることと
鯉は清流、池、沼のどんな場所でも生息する
その強い生命力と
まな板の上に鯉をのせると
暴れることなくビクともしない様子から
潔さの象徴とも考えられていて、
男の子の成長を祝い、立身出世を願うには
鯉はとても適した偶像であるとして、
単なる幟旗(のぼりばた)の
小さな付属品だったで「まねき」から
鯉の柄と形そのものを似せた
鯉の幟(のぼり)へと発展させ、戸外飾りに
使用するようになった、これが鯉のぼりの始まり。
江戸でうまれた鯉のぼりが空を悠然と泳ぐ姿が
江戸中で人気を博するようになり林立状態に。
そして、日本各地に広まっていったのだとか。
ちなみに、鯉のぼりはいつ飾り、いつしまうのが良いか?
そう言った決まりはないとのことですが、
4月中旬すぎから5月の中旬くらいまでというのが
一般的で、大安に飾ることが多いとのこと。
なんだか、うちも、鯉のぼりを
上げたくなってきた・・・
あ、でも、もうこどもの日は終わってる・・・
明日香