「節句」とは
四季や季節の変わり目に応じて
無病息災を祈願し、邪気を祓う
伝統行事を行う日のことであり、
中国から伝わった「端午の節句」も
厄払い、無病息災、邪気祓いを目的とした日で
当初は宮中や豪族間での厄払いの風習として
様々な行事が行われていました。
それが平安京における朝廷の衰退とともに
そうした行事はだんだんと行われなくなった一方で、
力をつけてきた武士による鎌倉幕府の政治が
行われるようになると、
「菖蒲の節句」の「菖蒲(しょうぶ)」が
「武道・軍事などを大切なものと考える」意味の言葉の
「尚武(しょうぶ)」と同じ読み方であることから、
武士たちも「菖蒲の節句」、つまり「端午の節句」を
「尚武の節句」として盛んに祝うようになったとのこと。
時は流れて、江戸時代。
江戸幕府は、5月5日の
「端午の節句」=「菖蒲の節句」=「尚武の節句」
を重要な祝日と定めたため、
大名や旗本たちが式服で江戸城に出向き、お祝いを
奉納するほど重要な日となり、
時を同じくして、将軍家に男の子が生まれると、
玄関などに馬印やのぼりを立てて祝ったところから、
いつしか、5月5日の「端午の節句」は
男の子を祝う祭事へと変化していき、
武士だけでなく、一般の人々にまで浸透していった
と考えられているのだそう。
「端午の節句」が5月5日になり、
「端午の節句」が「尚武の節句」となることで、
江戸時代に「端午の節句」は男の子を祝う日となり、
そして、昭和になって5月5日は「子供の日」となった。
この話題も、結構奥が深くて、所説いろいろあったので
予想外に手こずっちゃったけど、おかげさまで
にわか、「端午の節句おたく」になった
気がします・・・
明日香