前回からのつづき・・・
お彼岸とは、前回申し上げたように、
春分の日と秋分の日を中日とした
それぞれ7日間の期間をいいます。
この期間は
極楽浄土に思いを馳せ、良いことを行う期間で
お寺の法要やお墓参りに行き、
故人を偲び、供養します。
では、なぜ、その期間をお彼岸と言うのでしょうか?
それには、お彼岸とは本来何かということを
知る必要があります。
本来のお彼岸とは何か?
インドのお釈迦様によって仏教が開宗されて
中国に仏教が伝わる際、
古代インド語のサンスクリット語でかかれた
仏典を中国に持ち帰ったわけですが、
中国で広めるには当時の古代中国語の漢語に
訳す必要があり、その際、漢語にない概念は、
サンスクリット語の発音を音写して、
漢字のあて字で表現しました。
日本語の場合、日本語にはない概念の
外来語の発音をそのままカタカナで表現しますが、
それと似ています。
大乗仏教の経典、
「般若心経(はんにゃしんぎょう)」も
サンスクリット語で書かれており、
その経典の中の一節
「般若波羅蜜多(はんにゃーはーらみたー)」の
「波羅蜜多(はーらみたー)」は
サンスクリット語の「paramita (パーラミター)」の
発音を音写したあて字。
「 paramita (パーラミター) 」=
「波羅蜜多(はーらみたー)」を漢訳すると
「到彼岸(とうひがん)」となり、その意味は
「完成する、成就する」。
そこから、「到彼岸(とうひがん)」の
仏教的な意味合いは、
「煩悩(ぼんのう)が渦巻く輪廻(りんね)の世界から
解脱(げだつ)した悟りの境地に達すること。」
となり、
「到彼岸(とうひがん)」はやがて「到」が略されて
「彼岸(ひがん)」となって、
この悟りの境地に達しているのは仏様なので
悟りの境地に達した仏様がいる世界が「彼岸」
といわれるようになっていった。
この思想に日本の自然観、風習、ご先祖様を
大切にする思いなどが結びつき、
仏様の世界、極楽浄土のあるところ、あの世の世界が
「彼岸(ひがん)」となっていったということ。
これに対して、
私たちが生きている、煩悩(ぼんのう)で満たされた
輪廻(りんね)の世界を
「此岸(しがん)」と表すようになっていった
とのこと。
そして、その間を流れるのが、
あの世と現世を隔てる三途(さんず)の川。
向こう岸があの世の「彼岸(ひがん)」で
手前の岸が現世の「此岸(しがん)」。
ということになります。
つづく・・・
明日香