マルキヤ
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秋のお彼岸5(お彼岸の歴史)

前回からのつづき・・・

お彼岸が日本独自の文化であったということは

お彼岸を最初に行った記録が残っているはず。

お彼岸の歴史は?

 

お彼岸の7日間の間に行われる仏事を

彼岸会(ひがんえ)と呼ぶのですが、

 

平安時代、西暦806年に

彼岸会(ひがんえ)が行われた記録が、

平安時代に書かれた「日本後記」に

載っているとのこと。

 

その内容は、

桓武天皇の弟にあたる早良親王(さわらしんのう)が

平城京から長岡京への遷都を推進した

藤原種継を暗殺に関与したとの嫌疑がかけられ

無実を訴えるも、幽閉、配流の憂き目にあい

配流中に死亡。

 

その後、都は平城京から長岡京へ遷都するも、

桓武天皇の周りで次から次へと不幸や天災が起こり、

これを早良親王のたたりと考えた桓武天皇が

 

794年、長岡京から平安京へ遷都後、

早良親王を崇道天皇(すどうてんのう)と追称し、

たたりを鎮めるため806年に

現在の彼岸会に当たる仏事を執り行ったことが、

「日本後記」に記載されており、

これがお彼岸に関する現状での

最古の記録となっています。

 

806年以降、平安時代に書かれた日記や物語で

代表的なもの、源氏物語や更級日記などにも

お彼岸についての記述が出てくるとのことで、

始まりは平安時代初期と考えて間違いなさそうです。

 

その後、

お彼岸にお墓参りに行くことが定着したのは

江戸時代中期以降といわれているとのことで、

当時は娯楽的な要素が多分に含まれていたとのこと。

 

江戸時代お伊勢参りがブームになったように、

お彼岸の時期に6か所の阿弥陀仏をお参りする、

六阿弥陀参りがはやったのだそう。

 

つづく・・・

 

 

明日香