前回からのつづき・・・
中国で生まれた「端午の節句」。
5月に厄を払うという風習が「端午の節句」
として奈良時代(710年~794年)の頃に
日本へ伝わります。
中国の5月は夏にむけて、日々の寒暖の差が
激しくなる時期。
昔から、体調を悪くして病気になったり、
亡くなったりする人々が多く、
中国では「毒月」とも呼ばれたほどでした。
日本でも、この時期は同じような理由から
病気になる人々が多く見受けられ、
また、そろそろ田植えをするシーズンでもあるため、
厄払いをして邪気を祓い、
鋭気を養う必要がありました。
必然的に、この中国の風習は
日本でも定着していくわけですが、「端午の節句」の
端午の「端」は「はじめ」、端午の「午」は「牛の日」
を意味するため、5月のはじめの牛の日が
厄除け行事を行う日ということになります。
しかし、「牛の日」というのは毎年変わるため、
「午」の発音は「ご」のため、
数字の「五」(ご)と考え、
毎年、5月5日が「端午の節句」として、
定着することになったようです。
また、5月に季節を迎える菖蒲(しょうぶ)は、
その強い香りから薬草として利用されただけでなく、
邪気を祓う力があるとして、菖蒲を飾ったり、
枕の下に敷いたり、湯舟に菖蒲を浮かべて
菖蒲湯にして入ったり、
菖蒲をお酒に入れた菖蒲酒を飲んだりと、
「端午の節句」の際に様々な形で
菖蒲が使われてきたので、
「端午の節句」は、別名「菖蒲の節句」とも
呼ばれているようです。
ここまで、無病息災、厄払いに関する話ばかりで
主役であるはずの子供たちが出てきません。
しかし、時が進んで1192年、鎌倉時代を迎えると
「端午の節句」をめぐる環境に変化が・・・
そして江戸時代、「端午の節句」そのものに
変化が見られるようになります。
そのお話しは次回で・・・
明日香