前回からのつづき・・・
1933年、迫田氏が日本に帰国後、
さっそく「モンブラン」を店名として商標登録を取り
洋菓子「モンブラン」を東京、碑文谷にて開業。
(現在は自由が丘で営業中)
それと共に、お店の看板メニューを作るために、
フランスで味わった「モンブラン」ケーキをベースに
独自の「モンブラン」ケーキを製作。
その「モンブラン」とは、
フランスの「モンブラン」と違い
土台をメレンゲの代わりにカステラ。
このカステラの真ん中をくりぬいたところに、
生クリームとカスタードクリームをたっぷりと盛り
栗を丸ごと一個押し込んで、バタークリームで縁取り。
この上に甘露煮のマロンペーストを
円を描きながらぐるぐると巻き付け。
最後に白いメレンゲをのせ、
白い山・「モンブラン」の万年雪を表現したもの。
モンブランが提供するモンブラン
モンブランHPより
この日本版「モンブラン」ができたポイントは2つ
①土台がメレンゲからカステラへ
ショートケーキの説明の際にもお伝えしましたが、
不二家が日本版ショートケーキを作るのに
スポンジケーキをベースにして作ったところ
人気がでたため、モンブランを作る際にもメレンゲではなく
カステラを使用したのではないかとのこと。
②マロングラッセのマロンペーストから
当時マロングラッセはなかな手に入りにくく、
日本人にとってなじみがあるのは甘露煮の栗。
そこで甘露煮の栗のペーストを使用したとのこと。
それで日本の「モンブラン」は黄色くなったというわけ。
この「モンブラン」、アンジェリーナのモンブランと同じく
結構サイズが大きく、美味しさとあいまって
狙い通り、看板メニューとなったのだそう。
そうして有名になったモンブランのモンブランケーキが
日本版のモンブランになった由縁。
それは、やはり迫田氏でした。
このモンブランケーキを生み出したとき、
迫田氏は、店名「モンブラン」は商標登録したものの、
ケーキ「モンブラン」を商標登録し抱え込み
自社の利益のみを追求するのではなく、
モンブランというケーキの銘柄を公開することで
日本の洋菓子業界の発展に寄与しようと考え、
商標登録しなかったとのことで、
結果として、「モンブランと言えば黄色いモンブラン」
と認識され、代表的な日本のモンブランと
なっていったとのこと。
アンジェリーナのモンブランが代表するように
メレンゲが土台で、生クリームの上に
マロングラッセのマロンぺースト、
これにシュガーパウダーを振りかけた
シンプルな本場の茶色いモンブランが
人々の間で認知されるようになるのは、
1984年に銀座プランタンでアンジェリーナの1号店が
できて以降のことだったのだそう。
アンジェリーナのモンブランと
モンブランのモンブラン。
どちらも誕生以来、レシピは変わっていないそうで、
当時の味をそのまま残しているとのこと。
是非2つを同時に手に入れて食べ比べてみたぁ~い!
そして食べ終わったら、
モンブランケーキの商標を登録せず公開した
迫田氏の心意気に感謝したいと思います。
明日香