マルキヤ
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南蛮菓子・金平糖1(金平糖とは)

お菓子の日のブログの中で

南蛮菓子は和菓子として取り扱われると

お伝えしましたが、

その南蛮菓子について少し調べてみました。

 

まずは「金平糖」。

「お菓子の日」の事を取り上げるまで、

「金平糖」は駄菓子の仲間で、

日本発祥と思っていたのですが・・・

実は、日本が戦国時代の頃に

ポルトガルから伝わった砂糖菓子なんだそう。

 

金平糖

 

金平糖は、ポルトガル語の

「コンフェイト(confeito)」で 砂糖菓子という意味

この「コンフェイト」がなまって

「こんぺいとう」となり、

その当て字として「金平糖」となったとのこと。

 

では、なぜこの「こんぺいとう」の当て字が

「金平糖」という字なのでしょうか?

諸説あるらしいのですが、砂糖を固めたお菓子で、

砂糖の甘みを「強く」感じるところから、

発音が似ていて、「強い」という意味の「金平」

という字と、砂糖の「糖」を当てたのではないか

という説が有力とのこと。

 

戦国時代のいつ頃伝わったのか?

こちらも、諸説あるとのことですが

1546年頃、ポルトガルからやってきた

といわれていますが、

 

当時やってきたお菓子の中で、

見た目の美しさに一番人目を引いたお菓子が

金平糖だったとのこと。

 

史実として残っているお話しとして、1569年、

ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスという方が

京都の二条城で織田信長に謁見する(えっけん)する際

フラスコに入った「金平糖」を献上したのが

日本に入ってきた最初とみるむきもあります。

 

砂糖を基本に作られている「金平糖」の味は、

当時の人々には、非常に斬新であり、信長も、

とても驚いたと同時に気に入り、何度も取り寄せた

と言われています。

ただこの「金平糖」、当時は南蛮渡来の超高級品、

庶民には手が届かない代物だったようです。

 

つづく・・・

 

 

明日香